テキヤの手伝いしてました

若い頃テキヤの手伝いをしていた頃の事を書こうと思います

テキヤの手伝いしてました107

今日は先代の親分の話をしようと思います


私がテキヤの手伝いをしていた頃の


社長(親分)


の先代の親分の話



先代の親分は戦前の生まれで


戦争が始まると


神奈川県の横浜に疎開していた



そして戦争が終わると


お決まりのように、先代の親分は不良の道へ



ある日、不良仲間と一緒に横浜の街を歩いて


いると


前からスーツを着込んだ愚連隊が


歩いて来た


不良少年だった先代の親分は


愚連隊を睨みつけた


愚連隊も不良少年だった先代の親分を


睨みつけた



そして、お互い怒号が飛び交った


不良少年だった先代の親分と不良仲間は


一斉に愚連隊に向かって突っ込んで行った



そして、お互い大乱闘が始まった


数十分が過ぎただろうか


結局、喧嘩は勝負がつかないまま終わった



[なかなか、やるじゃねぇか]


と、愚連隊のリーダー格の男が言った



それから愚連隊のリーダー格の男と


不良少年だった先代の親分は仲良くなった


愚連隊のリーダー格の男は


不良少年だった先代の親分の事を下の名前で


呼んだ


不良少年だった先代の親分は


愚連隊のリーダー格の男の事を


[辰っちゃん]


と、呼んだ



そして、先代の親分が


[辰っちゃん]


と、呼んでいた人物は、その後


博徒になった


そして、不良少年だった


先代の親分はテキヤになった


この、不良少年だった先代の親分が


[辰っちゃん]


と、呼んでいた人物こそ


[横浜四天王]


と、呼ばれた出口辰夫氏だった。



つづく